推理小説考~国内編①~

 前回は海外の推理小説について書きましたが、今回は国内に目を向けて、日本の推理小説界に多大な功績を遺した二人について2回に分けて書いてみようと思います。

◎江戸川乱歩

 言わずと知れた日本ミステリー界最大の巨人です。明治27年(1894年)三重県に生まれ、本名は平井太郎。ペンネームの“江戸川乱歩”は、アメリカの文豪エドガー・アラン・ポーをもじったものです。

 推理作家になる前の彼は、古本屋や探偵社勤務、はたまた中華そばの屋台など様々な職を転々としていましたが、大正12年(1923年)に書いたデビュー作『二銭銅貨』を世に出すやいなや高評価を得て、一躍戦前を代表する推理作家の一人となりました。

 彼の作風は、非凡な着想から生み出される妖しい幻想と背徳的な魅力に満ちたもので、ある意味『人間の闇』を描き続けた作家とも言えるでしょう。特に評価が高いのが短編で、『人間椅子』、『屋根裏の散歩者』、『芋虫』、『人でなしの恋』、『心理試験』など、常人の発想ではなかなか描けない独特の世界観を確立しています。しかしその作風から、『エログロ作家』、『変態小説』などの批判を受けることもあり、後々まで彼を悩ませることとなります。

 そんな中、昭和11年(1936年)に転機が訪れます。ある編集者から「少年誌に児童ものを書いてみないか?」と彼に打診があったのです。当時の児童向けの探偵小説は荒唐無稽で文字通り子供だましの内容が多く、それこそ推理小説とはほど遠いものでした。しばし悩んだ乱歩でしたが、「ようし、それなら自分が謎とスリルに満ちた、子供が夢中になれる冒険譚を書こうではないか。」そう考えて児童向けの探偵小説を書くことを決意するのです。それが今でも子供たちに読み継がれている『少年探偵団』シリーズです。ご存知、名探偵・明智小五郎と小林少年、そしてそれと相対するのが怪人二十面相というおなじみの面々の登場です。このシリーズは子供たちに熱狂的に受け入れられ、『作家・江戸川乱歩』の地位は不動のものとなりました。

 戦後の彼は、作家というより主に評論家やプロデューサー的立場で日本の推理小説を支えました。探偵小説誌『宝石』を編集、経営して高木彬光、筒井康隆、山田風太郎など有望な新人作家を発掘したり、日本探偵作家クラブ(現、日本推理作家協会)を設立したり、私費を投じて新人作家の登竜門『江戸川乱歩賞』を制定したりと、まさに現在のミステリー人気の礎を築いたのです。

 昭和40年(1965年)7月28日、70歳で永眠。「大乱歩の歩みはそのまま日本探偵小説の歩みであった。」とまで言われた彼の功績を讃え、同月31日に正五位勲三等瑞宝章が贈られました。

 

K.K

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