前回、~「本当に大事なことは〝成功〟ではなく、そこまでの〝過程〟なのでは?」と頭をよぎってしまった…… まででした。
今回からその理由について、私の過去にふれつつ説明したいと思います。
説明するにあたっての内容を「?」と思う人が多いでしょうが、着地点は『本当に大事なことは〝成功〟ではなく、そこまでの〝過程〟なのでは?』に戻って来るので、読んでくれる方は、とりあえず最初は「?」と思っていてください。
私の家は母子家庭でしたので母親の仕事が忙しく、子供の頃は近所に住んでいた母の実家の祖母に育てられました。
自分で言うのも何ですが、私は祖母にとって〝目に入れても痛くない〟程の存在で、数人いる孫の中でも、特に可愛がってもらいました(その事は、私の親戚皆が認めています)。
そのせい(おかげ?)で、現在私は極度に甘ったれの根性なしの大人になってしまっています…
しかしその分、私の祖母に対する想いは絶対的で、親に対して以上に大きく、感謝などと言う言葉では表現出来ない程感謝しています。
しかし祖母は、私が16歳の時に亡くなりました。
それから現在、約20年が過ぎましたが、その想いは今も変わりません…というか、 私にとっては永久不変以上のモノで、年月が経つほどその想いは大きくなってきています。
当時は子供過ぎて、思いやりが足らなかった事も沢山あったと、今になって後悔していることばかりです(そんなもんかもしれませんが…)。
私の祖母は亡くなる3年程前から重い病にかかっていました。
めずらしい病気らしく、治療事態が手探りのようなモノでしたので、祖母も大変しんどい思いをいていました。
祖母は自分の病気の事を理解していましたが、少なくとも私の前では弱さを見せない強い人でした。
当時中学生だった私は、かなり不真面目なヤツで、勉強はしない、学校や部活はさぼる、そして毎日遅刻をするので、職員室の前で正座させられたりもしました。
言い訳ですが、当時大抵の教師の言葉には全く共感出来ず、私なりの反抗だったのだと思います。
当然祖母はそんな私を心配し、悩みのタネでした。
小さいころから「お願いやから普通の事出来る子になって」と、よく言われました。
そんな私のダメな性格は、祖母が病気になってからも変わらず、罪悪感と共に今も忘れられません。
私は祖母が大病している事を頭では解っていましたが、実感を持てずにいました。
というのも、生まれた時から私にとって祖母は「私を最も思ってくれる、心配してくれる」そして何より「頼りになる、守ってくれる」人であり、私にとって〝してくれる〟人というのが当り前で、私から何かを〝してあげる〟人とは思ってなく、そんな絶対的な祖母が死ぬとは考えられなかったからです。
自分勝手なクソガキである私を、何故か誰よりも愛してくれていた祖母ですが、ある時、こんな事がありました。
私が中学2年の時に、じゃれ合う程度?のケンカをして鼻を折りました。
担任の先生は驚き、病院に連れて行かれました。
そして、私の知らぬ間に勝手に家へ連絡してしまい、その知らせを聞いた祖母は慌てて病院へとんで来ました。
治療中にも関わらず診察室へ入って来ると、祖母はすでに涙目になっていて私を心配していました(強い精神力を持っていた祖母ですが、私の事だとすぐに泣く人でした)。
その時、鼻なんかよりも胸がズキンとしたことを覚えています。
自分の病気の事では弱さを見せない祖母が、大した事の無い私のケガにすごく心配している姿を見て、「自分(祖母)が大変な病気にかかってて大変な時なのに、こんな他愛のない事でも心配してくれるのか…」と思いました。
何故かその瞬間、私は祖母の余命の事を強く実感していました。
その理由は分かりませんが、少なくともバカな自分にすごく反省したことを覚えています。
今になって思うと、「祖母が大病している事を頭では解っていたが、実感を持てずにいた」と言うより事実を受け入れられず、目をそらしていただけかも知れません。
現実を受け止める勇気や強さが無かったのだと思います。
突然話は『ドラえもん』に変わりますが、作者の藤子・F・不二雄もおばあちゃん子で、その想いの強さ故か、ドラえもんの本編にものび太のおばあちゃんの話が結構あります。
中でも特に私の好きな(自分とダブる)話があり、その内容はこんな感じでした。↓
のび太はある事情から、ドラえもんの秘密道具「無くし物とりよせ機」を出してもらいました。
しかし例によって味をしめたのび太は調子にのり、今までに無くした物をかたっぱしから取り寄せます。
おもちゃ、まんが、それ以外にもなつかしい物がたくさん混ざって部屋がいっぱいになりました。
そして、懐かしいものの中に埋もれるように寝そべって、「昔はよかった」と干渉にひたり、ドラえもんから「すぎた日を懐かしむのもいいけどね もっと未来へ目を向けろ 振り返ってばかりいないで前を見て進め」と、もっともな意見を言われますが、のび太は「どうせろくな未来じゃないさ 頭も悪いし なにやっても失敗ばかり ずっと子どものままでいたいな…」と、未来に対してなげやりな事を言います。
ドラえもんは怒って部屋を出ていきました。
しかしその直後、のび太はふとある物に気が付きます。
なつかしい物の中には、優しかったおばあちゃんからもらった〝ダルマさん〟が含まれていました。
そして、のび太はある日(5~6年前、のび太5~6歳くらい)の事を思い出します。
幼い頃、のび太は泣いてばかりいる甘ったれでした(今もですが)。
その日も庭でころんで泣いていたのび太の前に、〝ダルマさん〟が転がってきます。
そして、転がっていた〝ダルマさん〟は直立して止まりました。
それはおばあちゃんがのび太の前に転がした〝ダルマさん〟でした。
「さ、だるまさんもおっきしたよ のびちゃんだって一人でおっき出来るでしょ」とおばあちゃんは言います。
「おばあちゃん!」と驚くのび太。
というのも、その頃のおばあちゃんは体調が良くなく、安静にしていないといけない状態だったので、あまり部屋から出て来なくなっていたからです。
そんなおばあちゃんですが、のび太の泣き声を心配し、部屋から様子を見に来ていたのです。
「ダメじゃないかおばあちゃん!ちゃんと寝てなきゃ」
のび太は言いました。
しかし、おばあちゃんはのび太にこう話します。↓
「のびちゃん ダルマさんは偉いね 何べん転んでも泣かないで起きるもの のびちゃんもダルマさんみたいになってくれると嬉しいな 転んでも転んでも1人でおっき出来る強い子になってくれるとおばあちゃんとっても安心なんだけどな」そう、おばあちゃんは言いました。
体調が悪い中、自分を心配して様子を見に来てくれたおばあちゃん…子供心に、そんなおばあちゃんを安心させたかったのび太は言います。
「ぼくダルマになる 約束するよ おばあちゃん」・・・
そんな事を思い出し、のび太はダルマに頬擦りしながら「あれからすぐだったな…おばあちゃんが亡くなったのは」と泣きながらつぶやきました。
のび太は右手にダルマを持ち、涙を流しながらもスッと立ちあがります。
机に座り、そして机の端にダルマを置き、のび太は勉強をし始めます。
そしてこう心の中でつぶやきます。
「僕一人で起きるよ これからも何度も何度も転ぶだろうけど… 必ず起きるから安心してね、おばあちゃん」・・・と心でつぶやくのでした。
【ドラえもん 第18巻「あの日あの時あのダルマ」より】
のび太のおばあちゃんは、自分の死期が近い事を悟って、あの様な言葉を残したのだと思います。
話は戻りますが、私の祖母も私に対してのび太のおばあちゃんの様な気持ちだったと思います。
祖母は私を私以上に誰より理解してくれていました。
それだけに、そんなに立派な大人になれる器量はないと分かっていたはずです。
ですが、そんなことは二の次で、何とか普通に生きてほしかったのだと思います(あきらかに普通以下だったので…現在進行形ですが…)。
人生の過程で、挫折や後悔、諦めなどは必ずありますが、大抵の人は、何とか自分自身で折り合いをつけ、前に向かって生きて行けるもんだと思います。
祖母は、私の〝それ〟さえも出来ない弱さを感じていたのでしょう。
「転んでも、自分で立ち上がる精神」を持てば、最低限の〝それ〟は可能でしょう。
そんな心を持ってほしかっただけだと今は確信しています。
〝何度転んでも、必ず立ち上がる精神〟と、結果(成功)を成すこととは全然違うと思います。
たとえ弱虫でもただ強く生きてほしい(矛盾していますが…)、前を向いて生きてくれさえすればいいという事だと思います。
つまりそれは結果を出す過程であり、その〝過程が一番大事〟だということです。
結論ですが、「本当に大事な事は〝成功〟ではなく、そこまでの〝過程〟なのでは?」の答えは、やはり「〝成功(結果)〟ではなく、そこまでの〝過程〟である」という事だと思います。
ドラえもんの〝あの日あの時あのダルマ〟を思い出す度に、祖母の思いやりや優しい言葉、優しい顔が頭をよぎります。
【最後に】
結果など後からついてくるものです。
未来は誰にもわかりません。
しかし、少しでも今よりましな自分になりたいと願うなら、とりあえず今やれるだけのことをやってみようと思います。
例え小さくても、例えどんなに歩みが遅くても、人生という山を登ってみるつもりです。
何年か後、ふと後ろを振り返ったとき、少なくとも必ず今よりはマシな景色が見えるはずです。 ・・・・と現在自分に言い聞かせています。
(完)
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ヘンリ (水曜日, 21 9月 2016 11:19)
転んでもいいから立ち上がる
目の前のことを頑張る
そう心がけてやっていこうと思います