次男に続いて義母も血液のガンに(その1)

 昨年12月息子がちゃんと歩けないと言うので近くの総合病院の神経内科で診てもらうと、「『多発性硬化症』の可能性があるので、もっと大きな病院で精密検査をしなければだめだ」ということで、金沢の病院を紹介してもらいました。数日後、紹介状を持ってその病院へ行くと、かなり念入りに触診をしたのち、「1週間ほど入院して精密検査をする必要があるが、今は病室が埋まっているので、空いたら連絡する」とのことでした。

 その夜、家に帰った私と連れ合いは、触診だけで、血液検査も、レントゲンも、CTもMRIも撮らずにベッドの空くのを待てという医師の判断に納得がゆかず、ネットで『多発性硬化症』を検索しまくり、金沢医科大学病院に松井真という多発性硬化症の権威がいらっしゃることを突き止め、翌朝、医科大病院に電話して「松井先生の診察を受けたい」とお願いすると、「翌日なら外来に出ているので指名して来てもらえば診察できる」とのことで、さっそく翌日出掛けていきました。

 松井先生は触診の後、採血(18本)と造影剤を使ったMRIを指示なさり、血液検査の結果が出たのが、夜の8時だったのですが、それまで待っていて下さり、結果を見て「多発性硬化症よりもっといやらしい病気が疑われる。普通なら20~50万/mm3あるはずの血小板が4万しかない。即入院して精密検査の必要がある」とのことでした。

 前夜ネットで多発性硬化症を調べてかなりの難しい病気であることを知って気落ちしていた私たちには「もっといやらしい病気」という言葉は途方に暮れさせるものでした。

 翌日から次男の検査が始まりました。CT、採血、PET検査等々。

 悪性リンパ腫。これが次男の病名でした。ガン?当惑する私たち3人に先生は分かりやすく教えてくださいました。悪性リンパ腫とは血液のガンで全身をめぐっているリンパ球がガン化する病気であり、息子の場合は非ホジキンリンパ腫であることはわかるが、その中にも何十という種類があり、その種類によって抗がん剤治療の薬が異なるので、その判断までには3週間ぐらいかかる、ということでした。説明を終えた先生が「何か聞きたいことはないですか?」とおっしゃると、息子は「生きられるんですか?」と聞きました。先生は「6か月間一緒にがんばろうね」と優しくおっしゃいました。

 家に帰った私と連れ合いはまた徹夜でネット検索です。分かったのは『息子のガンが既に第Ⅳステージ(末期)であることと生存率は20%だということ』。翌日息子のいない所でそのことを先生にお尋ねすると、「それはそうですが、生きようとする希望を持って、ご子息が治療に取り組めるように支えになってあげて、ご子息ががんばれれば生きられる希望はいくらもあります」とおっしゃいました。

 私と連れ合いの治療方針は決まりました。『幸せ療法』です。①息子が幸せだと思えるような環境を創ること。②息子が治るという希望を持って治療に取り組めるように支えになること。③家族3人(東京で就職した長男を入れると4人)笑って暮らすこと。④どんなことにでも感謝して暮らせるように努めること。などを息子と話し合い、実行していくことにしました。・・・・・・字数オーバーなので、続きは(その2)で。                                                       俊

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コメント: 2
  • #1

    おかん (月曜日, 10 8月 2015 15:22)

    俊さんご家族の心中を思うと、正直どう言っていいのかわからないのが正直な気持ちですが、俊さんご一家の『幸せ療法』すごく素敵だと思いました。感謝し笑って暮らす、とても大切なことだと思います。
    すべての治療が順調に進みますよう、心から祈っております。

  • #2

    (水曜日, 12 8月 2015 12:09)

    『幸せ療法』、どこかのお医者さんが出している『ガンを治す10の法則』って本から出来そうなのだけを取ってきたんです。そのお医者さん曰く、「この病院、この主治医、この治療法で直すって決めたのなら、治るって信じて楽しく治療を受けることが、免疫力も上げるし、治療効果も上がるってことでしたので、息子には辛くても笑って治療を受けようねって、話しました。

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