宮崎駿監督作品「風立ちぬ」、アカデミー賞にノミネート。

 宮崎駿監督作品「風立ちぬ」がアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされた。今作で宮崎駿監督作品は3作目のノミネートとなる。2002年に「千と千尋の神隠し」でアカデミー賞を受賞し、2005年には「ハウルの動く城」がノミネート。今作が受賞となれば、11年ぶりの快挙となる。

 「風立ちぬ」は大正から明治前期にかけての、みどり多い日本の風土と、その世界に生きる若者を、最大限美しく描いた作品。

 空は濁らず、水は澄み、田園にはゴミひとつ落ちていない。その一方で、まずしかった町の人々やでこぼこの道、無秩序に並ぶ看板や乱立する木の電柱など、対照的な風景の描写も見事だ。

 

 

 宮崎駿氏はこう記す。

 「この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。

 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。」

 

 

 あこがれの影は人生の罠だ。引き込まれれば引き込まれるほど、その代償は大きい。しかし、挫折をしてしまうことが、才能の有無に関わることはない。美とその代償は比例する。どれだけ華麗で優美な存在を追っていくか。それが才能の有無に繋がるのだろう。そして、挫折をしたその才能は、何年・何十年を経て、大きかったのだと周囲に伝わる。その波紋が大きいか小さいかは、影の大きさによるのかもしれない。

 

 「自分の夢」に向かってまっすぐに生きることは、現代社会のせいにせずとも難しい。夢の途中で挫折したり、蒼い芝生を目にしたり、夢に見た人生を志半ばで断ち切られることだってあるだろう。しかし、それでも前を向いて困難に立ち向かうことは「究極」で、これは美談すぎるし、生きていく上でほんとうは必要ないのかもしれない。このような、百人百様、みな異なる感覚を、監督は映画を介して観客に抱かせたかったのではないだろうか。是非と幸不幸を観客にゆだねる。そういった映画を、監督は創り上げたのだろうと考える。

 

 昨年、宮崎駿氏は映画製作から引退することを表明した。今作が受賞となれば、有終の美を飾ったことになる。なんの心残りもなく次の製作活動に打ち込めるだろう。

 次回の作品に関して「スタジオジブリ」のプロデューサーである鈴木敏夫氏は

「宮崎駿はちゃんばらマンガを描いている」と話す。

 

 宮崎駿の感性はまだまだ若年者には負けない強さを含んでいる。これから生み出される作品にも注目したい。

 

ゆうき

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