とっくに明けてておめでとうございます

 明けましてオメデトウございます。

 

この歳になると、年が明けたからといって別段生活が変わる訳でも無いので、毎年、何となく『年号が変わったな』という程度の認識です。

 しかし、毎年同じですが、少しばかり目標があります。

 

『清く正しく美しくあれますように!!』

 

 これだけは毎年、毎年、ヘタすれば毎週毎日くらいアタシの頭の中で目標として存在しています。

人間、この3つが備わっていれば怖いものなしです。きっと報われると思います。

自分は清かったか?

自分は正しかったか?

自分は美しかったか?

 

「そうであったか、そうでなかったか」これらは他人にジャッジされるようなことではないと思っています。

ましてや、これら3つが重なってくるとなると、それこそ「そうであったか、そうでなかったか」は自分自身以外にジャッジ出来る者などいないと思います。

 

自分自身を清く受け止めて、公平に物事を考えながら、正しかったと思える様に行動する。その時、きっと人間は美しいはずです。

 

 泥棒に対して「お前は泥棒だ」とは、誰でも言えますが、その時の“盗み”が本当に“罪”なのかは本人にしか解らないのと同じだと思っています。他人には説明もできないような正義があったのかもしれません。

仮にその正義が間違いであっても、後々「あれは自分の間違いだった」と受け入れることが出来れば、そこにまた清さが生まれるのだと思います。

 美しさは、姿かたちも大切ですが、所作や普段からの行い。また、生活や思想などにも美しさはあると思います。

公園などで、スカートにヒールを履いたママが、ベンチに座りながら幼い我が子に「もっとこっちで遊びなさい!」などと大声を張り上げているのを見ると『なんて醜い女だろう…』と思ってしまいます。

 一時の“美しさ”の為に、我が子との美しい思い出を作る事をためらうのは、本当に残念な考え方です。思い出にビデオを使ったって駄目です。そこに自分は映りません。ビデオなんか録らなくても、辛い事や寂しいことがあった時、また逆の時、眼を瞑るだけで思い出は蘇ります。その思い出が美しければ、写真や動画などなく、年老いて皺くちゃになって死のうとも、きっと美しいままでいられるのだと思います。

 

 さて、ここまで書きましたが、『言うは易し』とはまさにこの事で、全くダメダメです。

謙遜とか謙虚とかに興味のない自分ですから、本当にダメダメなんだと思います。

大晦日には「目標高すぎか?来年から変えようかな」と迷いますが、いつもの「面倒くさい」で、引き続き同じ目標となっています。

「今年こそ!」というより、「死ぬまで」にはなんとか、目標達成したいものです。

 

 こんなダメダメなアタシですが、皆様今年もどうそ宜しくお願い致しますm(_)

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